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9月のワークショップ

秋の焚き火小屋で過ごす「親子の時間」

火のぬくもり 家族のぬくもり

2009・9・19 (土) 10:00ー14:00

9月のワークショップ_b0169869_16134047.jpg


田舎をモダンにデザインした『焚き火小屋』で、

親子で『ぐるぐるパン』の生地を捏ねて、棒に巻きつけて熾火(おきび)で焼く・・

ゆっくりした時間を親子でお過ごしください。




(場   所)  しまね自然の学校 倶楽部はうす
(参 加 費)  親子ペアー (親1人・子1人)  ¥3,000
         プラスお一人様につき      ¥1,000   (体験料・昼食材料費代)
(募集人数) 5家族程度   焚き火を使った料理など、豊かな食の環境に興味のある方。
(申込締切) 9/16まで

        


春の焚き火小屋で過ごす「親子の時間」の様子は、こちら
Top▲ by veronica-t | 2009-08-31 16:28 | workshop | Comments(16)
Commented by nature21-plus at 2009-08-31 20:37
しかし…。
あのあわただし時間の中で、よくもまあ、ここまで絶妙な写真をとりますね。

感動するは…!。
Commented by veronica-t at 2009-08-31 22:25
いやあ〜、みんなモデルが良いんです。
本当に、とても素敵な表情をされます。なかなか上手く撮れなくて申し訳ないです。

私は、我が子が小さなころまでは、カメラを持っていました。
ある日、カメラの向こうにいる我が子には、いつも母の目はカメラごしなんだ・・と
なんかそれがとっても嫌で、「よ〜し、子供の成長は私の記憶で覚えとこう〜!」っと、あっさりカメラを持つのをやめました。
だから「あ〜あのころの、お兄ちゃんはね〜・・」と、いうように、私の記憶を辿りながら、子供たちに幼きころの話をします。

ですから、カメラを持つようになったのはワークショップを始めてからです。
なかなか思うような写真は撮れません・・・。
でも褒めてくださって、嬉しいです。

・・そして、やはり長女とのキャンプのときは、カメラを忘れてました・・
Commented by nonisaku-hana at 2009-09-01 00:24
ベロニカさんの写真には、いつも感心させられている者が、ここにもいますよ~。

カメラ・・わたしはブログでも携帯、時々職場のデジカメ。

子どもの学校行事でも、いつも手ぶらでした。いつの頃からかカメラが、一気にホームビデオに変わりました。それもどんどんコンパクトになって。ある時、我が子しか眼中にしかないような運動会の撮影に、学校から注意があったほどです。

「自分の眼と脳裏に焼き付ける・・」と、自分と子どもたちの写真嫌いをいいことにしてきました。ああだった、こうだったの話はウチでもよくしますよ。

新郎新婦の成長の過程などを映像で紹介するような結婚式だけは、絶対に避けて欲しい! もし、結婚できれば・・の話ですが。 (笑)

焚き火小屋で親子の時間を過ごされる方は、既に幸せな親子さんです。ゆったりとした親子の時間が本当に必要な家族に、なかなか届かないもどかしさが、私の仕事にも多々あって・・。

ともあれ、日常では味わえない焚き火小屋の素晴しさを是非!体験して欲しいものですね。
Commented by nature21-plus at 2009-09-01 02:35
少し前のことですが、知人の保育士さんがおっしゃてました。
最近のお母さんは、「左手に子どもさんの手を握っていても、右手にケイタイをもって親指が動いている」と…!。
つまり、子どもの側には居るのだけど、その心は、子どもの側ではなくてはるか彼方の(相手はだれ…?)ということでしょう。
あげくに、子どものほうを向くときには、自分の思い通りの子どもしか見ない「カメラを通したそれでしかない」としたら、まるで、子どもを見ていないのと同じことではないですか。
デジカメって確かに便利ではあるけれど、その見返りに失うものがこれではあまりにも甚大だというべきですね。
出来れば、花一輪さんのお嬢さんが似顔絵を描くときのように相手を見つめつづけてシャッターが押せれば、少しは違うのでしょうが…。
Commented by veronica-t at 2009-09-01 22:53
お二人のお話のシーンって、日常よく見かけますよね。それほど当たり前になってしまっているんでしょうね。

私にとって写真とは、時代や記録を残し伝えることかなと思っていますので、カメラの向こうにいるのは我が子ではありません。

我が子の育ちの記憶には、風景と風と音と光と温度と、なぜか匂いまで残っています。
Commented by nonisaku-hana at 2009-09-02 00:39
ベロニカさま、

5感が総動員、フル稼働!の記憶。一緒一緒と嬉しくなっちゃいました。あ、味覚・・あるよね~勿論、記憶にも。 (笑)
Commented by veronica-t at 2009-09-02 06:20
そうですよね〜。
我が子との思い出話に写真はないけれど、記憶に残っている匂いから味まで、そのときに感じたこと全てがでてきます。
そして、その子供の幼きころの想いまで、大きくなった子供と話が合ったりします。
私は機械ものが苦手、カメラの操作に気をとられるより、母の持つ全ての5感で、我が子の気持ちも、ちょっとした変化も記憶してます。・・子供にとっては嫌なときもありますが・・
その役目も、そろそろ終わりましたが・・それぞれオセになったので。


Commented by nature21-plus at 2009-09-02 11:52
オセってなに…!?。これは出雲弁ですか!?。
それとも、正しいネイティブではなくてVeronicaさんの単純なタイプミス…!?。
オセえて…!!。(すまぬ!。朝からだじゃれじゃ…。(笑))

ところで、とても素敵なお母様のお二人さんに質問です。
ブログをはじめてから、これまでのしまね自然の学校の膨大な量の写真を見ることが多くなって気づいたのですが…。
「群れること」に、どうも小学生になった辺りから男の子と女の子に差が現れはじめます。
昨日の保育園児などにはそうした状況はまったく見えないのですが、「うさぎの子って誰さ…!」や、「オロチの子ら…」など、群れるシーンがよく見られるプログラムではこれが顕著です。
で、そこでの子どもたちの状況を思い起こして見ると、高学年になってもよく「群れる」女の子は、ある意味逆境に強いです。
これが、男の子だと、例えば、「れい、ヒデ、森脇」のように、強烈な仲間意識を持つことが出来ている連中は違うのですが、そうでない子は、逆境の中で「個」の中に引きこもりやすいのです。
こういう状況に、ご両人が、どういう認識を持つのか、オセえていただけたら嬉しいです。
Commented by veronica-t at 2009-09-03 08:06
オセ・・は、出雲弁です。
「おせげにならいたがあ。」と、いうように、私はよく親同士の会話で使います。
「大人っぽくなられたね。」でしょうか、標準語になると・・・。幼いころを知っている近所の子供や親戚の子を、高校生くらいになって久しぶりに見かけたときに使っています。
「オセ」も、ただ見た目の「大人」らしくなったとは、ちょっと違うんですよね。
なかなか出雲弁の、微妙な言葉の表現を、標準語にするのは難しいです。

「群れる」・・ということのお話は、コメントで書くのは難しいので、また、後ほどご連絡いたします。
もしかしたら、我が子を通しての話ではなく、自分の学生のころ感じたこと、そして大人になることで互いのおかれる環境と「群れる」ということの関係みたいな話になってしまうかもしれませんが・・それでもよろしければ・・ですが・・。

Commented by nonisaku-hana at 2009-09-03 09:05
おはようございます。
ベロニカさま、ドーゾお先に・・と待っておりました。
「後ほどご連絡いたします」・・が、どういう手段なのかわかりませんが、できれば・・是非この話題を共有してみたいと思います。

わたし自身は、女の子が「群れる」という形態に、微妙な違和感のようなものも持っています。どちらかといえば、群れそこねがちだったからかも知れませんが・・。
Commented by veronica-t at 2009-09-03 12:07
私も同じです。
子供らが「群れる」のと、高学年になった女の子が「群れる」のは異なると思います。
私もnonisaku-hana様と同じで、群れそこねがちで、遠くから同級生の「群れる」を見ていた側です。

子供の「群れる」は、仲間をよびます。しかし、女の子の「群れる」には、人を寄せつけたくないような、またその「群れる」には、変な仲間意識(良くも悪くも)があるように思えるのですが・・。
これは、群れそこねたもののひがみかしら・・・。
Commented by nature21-plus at 2009-09-03 12:27
Veronicaさま、ご丁寧な解析をありがとうございます。

[せる][させる]などを考慮してしてみると、これらはある意味「完成する結果のようなもの」を示唆するようです。
どうやら「オセ」とは、つまり(ませる=老成る)に由来するのでしょうかね。しかし、ネイティブは言葉とは面白いです。

nonisaku-hanaさま

「群れそこねがち」だったという言葉…。大きなヒントをいただきました。
ともあれ、こんなことをずっと考えていて、自らの子どものころを思い返して見ると、ある特定の友がきとの「群れる関係」はあるのですが、それ以外のとき…。ともすると nonisaku-hanaさまのおっしゃる「群れそこねがち」だったときに、そこに誰が(とり分け大人…)居たかについて考えてみたい気がします。

しまね自然の学校では、この「群れそこねがち」な子どもたちこそを注視してきた気がするからなのです。不思議に、「群れそこねがち」には「良い結果(自然の学校てきに見てですけど…)」の方が多いのです。

ともあれ、引き続きご意見がいただけたら嬉しいです。
Commented by nonisaku-hana at 2009-09-04 01:56
「『群れそこねがち』だったときに、そこに誰が(とり分け大人…)居たかについて」・・・

性格的に「群れを好まない」その子の雰囲気を周囲が受け入れ、それなりのスタンスで接することができるのであれば、日常に不都合はないかもしれませんが、

「群れ」からはずされたり、はずれたい思いを隠さなくてはならない時に、大人の存在や介在を当事者は望むのだろうか・・・?と思います。

悩みや問題の相談相手が誰であるかは、その悩みのタネが何であるかによっても個々で違うでしょう。

自分を振り返った場合、親からの愛情を疑うことはないにしても、親も含め、「大人」には解らない(共有できない)ことだと思っていたように思います。

わたしの子ども時代は、子供同士の感情が剥き出し?だったような・・今は、KY(場の空気を読めない)ことを恐れるあまり、自分の本音をさらけ出せない怖さがあると感じています。

その場が成立しても、中身になにも共有、共感できないまま群れているとしたら・・・そしてそのことを知りながら不毛な関係を続けなくてはならないとしたら・・・ゾッとします。
Commented by nature21-plus at 2009-09-04 03:32
有難うございます。

明日の朝、少し整理してコメントします。

Commented by nature21-plus at 2009-09-07 14:05
忙しさに追われて、コメントが遅れました。お許しください。
しかし、その遅れているあいだに、自然の学校の生え抜きのような青年から、まるでこのコメントのやりとりを見ていたかのような文章が届きました。
「ナオキ」と題して、ブログにアップしました。読んでいただけたら嬉しいです。

「…その場が成立しても、中身になにも共有、共感できないまま群れているとしたら・・・そしてそのことを知りながら不毛な関係を続けなくてはならないとしたら・・・ゾッとします。…」

この辺への、現在の若い世代の明確な理解が返ってきたと考えています。

ありがとうございました。
Commented by nonisaku-hana at 2009-09-08 01:22
natureさま、お待ち申しておりました (笑)
さて、コメントが記事になった?と思いながら読ませていただいていたのですが、先程また改めて読ませていただきました。

ナオキさん、素敵な青年ですね。若い世代の葛藤・・・自分自身の経験も改めて噛みしめたことでした。そしてわが子にも重ねて。

葛藤も、気づきも、そのきっかけも・・個々違うのでしょうね。大都市と田舎の人間関係も大きく異なると思います。

都会はいい意味で他人に無関心な分、田舎ほどの閉塞感はないのではないのかな~と思ったりします。

どんな世代でも、自分の思いを率直に伝え合える友や仲間、家族があることは、とても幸せだと思います。
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